26日の「毎日新聞」朝刊は、2面で小さく「沖縄振興に予算95億円」「普天間アセス再提出へ」「ジュゴン影響考慮を」という見出しの3つの小さな記事を掲載した。
3番目の記事は以下の内容である。
「■ジュゴン影響考慮を
米軍普天間飛行場移設先のキャンプ・シュワブ(沖縄県名護市)沿岸部に生息するジュゴンの保護を求め、日米の環境保護団体が起こしていた訴訟で、米サンフランシスコ連邦地裁は24日、米国防総省に対し、移設に際しジュゴンへの影響を考慮するよう要請。同省にジュゴンへの影響を評価する文書を90日以内に提出するよう命じた」
95年9月4日の少女暴行事件をきっかけにSACO(日米特別委員会)で米軍基地の「整理・縮小」ではなく「統合・強化」が合意された。普天間基地移設を口実に名護市辺野古沿岸部に新基地を建設することもその一つである。この海域は日本の文化財保護法で天然記念物に指定されるジュゴンが餌となる海草を食べる場所であることから、2003年9月、日米の自然保護団体は、米国防総省とラムズフェルト国防長官を相手に、ジュゴンの保護を求めて裁判を起こした。
沖縄視察中の19日の夜、この「ジュゴン裁判」の中心メンバーで著名な建築家でもある真喜志好一さんと那覇市内で懇談した。以下にその一部を紹介する。
●真喜志好一さんのお話
真喜志好一さん
・基地の縮小移転ではなく近代化強化に他ならない
ホームページは読み応えがあり読んでいただきたい。基地の整理縮小がすりかえられて基地の近代化強化策となったことを米軍のHPや米軍の1960年代の文章から読み解いた。1965年に辺野古の海を調査した文書を見つけ出し、その文書内容を通して1966年の図面から当時長さ3000メートル幅60メートル2本の滑走路と大浦湾に軍港をつくるという計画があったことがわかった。少女レイプ事件後、米側はこの計画をどう実現するかをディスカッションしている。当時の米国政府のNO1にこの図面を見せて確認したところ「ベリーファミリアー」(とっても慣れ親しんでいる)という返事があった。テーブルの上で、その図面を広げながら実現に向けて検討していた。
やんばるの森の高江にも、米軍は新しい機能をもったヘリパットがほしかった。新しいものをつくるというと100%反対されるので、北半分を返還することにしてそのかわりという口実にした。辺野古も同じで、普天間返還は口実だ。
現在の辺野古のV字型計画案は1966年に海兵隊が描いた埋め立て基地計画の2つの滑走路の変形である。
辺野古の風景(クリックすると大きな画像が見られます)
・米国のジュゴン裁判について
米国の「国家歴史遺産保存法」は米国が国外で行う活動について当事国の法律を守れというもので、犯した場合は、何人も米国を訴えることができるというもの。そこで、ジュゴンが住んでいる海に米軍のための滑走路をつくることはどういうことなのか、ジュゴンの保護策を示せという裁判を起こした。
米国側は、1972年5月の施政権返還後は日本政府の問題であずかり知らぬとして門前払いを主張した。私はそれを聞いて奮い立った。1966年作成の計画と現計画の連続性が証明できるからだ。米連邦地裁も私たちの主張を支持した。
その裁判のプロセスで日本政府がリーダーシップをとっていることを証明するために日米政府が秘密裏に相談していることを証拠としてだしてきた。その「証拠」から滑走路をV字型にして陸上を飛ばせないなどということがウソであることを暴いた。信頼のできる野党議員にそれらの情報を提供した。勝つために前進している。
・環境影響審査会では傍聴者も発言する
環境アセスの方法書には、どのような飛行機をどのような頻度でとばすのか、埋め立ての土はどうするのかなど肝心なことが記されていない。この審査会では傍聴席から発言している。新石垣空港をとめるための活動の時に、審査会の初回に傍聴席から発言した。民主的制度は住民が勝ち取らねばならない。そうすると委員長が「発言があれば要請文をだしてくれ」と言い、そこでその場で書いて出した。審議が進むと、先ほど出した要請文の審議はどうなっていますか?と尋ねる。傍聴席からのヤジ的発言はしない。委員長が「誰か発言はないか?」と問うた時にすかさず傍聴席から「会長」と発言を求め、会長も、つい指名する。
方法書には購入土砂を使うとあるがどこから買ってくるのか?沖縄県の海砂を購入するとある。その量は1700万立方メートル、延長距離にすると170キロメートルとなる。これほどの砂を取るのに、そのアセスをしないのはなぜか?通常、沖縄で1年間でとる砂は13万立方メートルで、これだと100数十年間分とることになる。環境審査会がどこからとるのかを明記しろとなり、月曜日にこの方法書について知事意見もでるはずだ。アセス法28条の規定により変更がある場合は方法書からやり直すことが必要となり、また私たちの意見をいうことができる。
・運動の方法
運動は野球のルールでやるとまける。日本労働運動がつぶれたのは攻撃と防御が分離した野球的運動をしたからだ。サッカーやラクビーのようにピンチをチャンスにすることが肝要だ。我々はチームプレーも個人プレーもできる。国家権力に縛られずに動きができる。国家は組織プレーでしかできない。
アセス方法書の件では、県の審査会の先生方を味方につけるため、野次をとばさない、不快を与える言動は慎んだ。事務局に対しても同様だ。アセスという手続法で、法律の厳正な手続きを求める。アセスなど勉強会を適宜組織して積み重ねてきた。我々はミスを犯さない、相手のミスを見逃さないという姿勢でやってきた。
(文責:川本)