2008/8/31 日曜日

官製談合、巧妙化する手口 議員(及び親族)が関係する事業者や業界団体の県事業の受注状況などの公開を

カテゴリー: 活動日記

 大分県の教員汚職事件では口利きで07年度合格した21教員の採用が取り消しになるという。一方、大分県議会は27日、教員の採用などに絡んだ県議の口利き行為を禁止するとの宣言文を決議した。宣言文は「一部議員の口利き問題が県議会に対する不信を招いた」と反省。教員や県職員の採用、昇任人事のほか、一般の入学試験や資格試験も含め「特定の者の利益になるような議員活動を禁止する」としている。(共同通信)

しかし、こうした「宣言」では効果は疑わしいし、県民の不信を払拭することなどできないだろう。「口利き」は一口に悪いとは言えないだろう、そこで公開や罰則を規定した条例、公益通報条例などの制定が必要だ。なぜなら今の県議会の状況を見て、「口利き」で「特定の者の利益になるような活動」こそが議員の使命と心得ている方が多数いると思われるからだ。口利きの公開とともに議員(及び親族)が関係する事業者や業界団体の県事業の受注状況などの公開もあわせて必要だ。もちろん行政官僚の天下り先企業・団体の県事業の受注状況の公開も当然だ。

こうした「トンデモ議会」をどう改革するか?!
30日午後は、千葉市内で開催された第15回全国市民オンブズマン千葉大会(主催:全国市民オンブズマン連絡会議)に参加し、新藤宗幸氏の記念講演「住民自治に応える地方議会とは」と第3分科会「談合・入札改革」の報告を聴いた。

dscf0342b.jpg 全国から約380人が集まった全体会の様子

新藤氏の「地方分権改革」に絡んだ話を直接聴くのは今回で確か5回目だ。
基調講演の話のポイントは
(1) 2000年の地方分権推進法により、①機関委任事務の全廃による国と地方の対等化、②必置規制の緩和、③法令の解釈について国地方係争委員会で争うこと、の3点が実現した。
(2)首長と議会は「車の両輪」とは言っても、首長の車輪の方が大きいため真っ直ぐ前には進まなかった。強大な権力を持つ首長に議会は相乗りした。首長に相乗りする議会に議会改革などあり得ない。 2000年の推進法で車輪の大きさが同じになった。
(3)議会は条例提案よりも、行政に説明責任を果たすことを問うべきだ。一方、議会自体も説明責任を果たさねばならない。
(4)議会改革の最大のポイントは「代表制」をどう確保するか?ということだ。政令指定都市と県との関係も考え、選挙制度改革についてしっかり発言すべきだ。県議会は全県1区の比例代表制とし、定数も30議席程度とするのが望ましい。
(5)議会事務局の人事権を確立するための改革として、県市町村で一部事務組合をつくることも検討すべきだ。政務調査費は具体的な申請に応じて支給する申請主義とすべきだ。
というものだった。

第3分科会では、官製談合が跋扈し、巧妙化する手口が各地から報告された。入札に直接参加しない事業者が入札を仕切るケース、談合を拒否する業者が参加できないよう技術者数を参加要件としたり最低制限価格算出の数値を「秘密裏」に頻繁に上下するケース、総合評価に「地域貢献」の項目を入れ実質的に地域の建設業協会会員を評価項目とするなどだ。総合評価制度の問題点は「不透明性」と「不合理性」であり、一般競争入札を嫌う業界が総合評価を求めるケースもあるようだ。

2008/8/30 土曜日

北海道視察報告①~苫東開発、夕張

カテゴリー: 活動日記

 27日、28日と代表質問に向けたヒアリングを職員から行い、事前に請求していた関連情報の提供を受ける。29日は07年度県決算状況について県ネット情報誌用の原稿を作成し、午後、県から提供を受けた情報の検討を行う。
30日「毎日」朝刊は、文科省が29日に公表した全国学力テスト結果を「学校間格差鮮明に」「「連覇」秋田は生活重視」「低所得響く「低迷」高知」などの見出しで報じている。
昨年度と同様、就学援助を受ける児童生徒の割合が高い学校は正答率が低い傾向が見られ、家庭の状況と学力の関係を指摘する声もある。トップの秋田などでは学校による「規則正しい生活習慣」の指導や「全生徒に目が行き届く」習熟度別の少人数授業が効果をあげたという。小中学校のみならず高校にも共通するだろう。

地域開発・振興で最後にツケをまわされるのは誰か?!

20日~22日、会派4人で北海道を視察した。
20日午後、北海道立子ども総合医療・療育センター(札幌市)
21日午前、NPO法人グリーンファンド、NPO法人札幌チャレンジド、午後は北海道庁(農業政策、企業立地、中心市街地活性化、遺伝子組換え作物条例と交雑試験結果)
22日午前、苫東開発、午後、夕張
を訪問した。

 今回は「苫東開発と夕張」を報告する。
札幌の中心部から車で約1時間、新千歳空港から15分のところに苫小牧港(東港区)に面して10700haの苫小牧東部開発(苫東開発)地域が広がる。地域内に日高自動車道のICが3か所もある広大さだ。69年から北海道企業局が土地買収を開始、田中角栄の日本列島改造論時に「苫小牧東部大規模工業基地開発基本計画」が策定され、1972年開発主体の苫小牧東部開発(株)が設立された。しかし、オイルショックなどで企業立地進まず、旧会社を清算し、借入金に依存せず経常経費を埠頭収入等の固定収入で賄う新会社(株)苫東(常勤役職員18名、株主:国50%、北海道32%、民間金融機関16%、民間企業2%)が99年に設立された。現在の土地分譲状況は産業・研究開発用地5500haの内分譲済みは1006haと分譲率は18.4%である。

22日午前10時、予定時刻に(株)苫東の事務所に到着、30分ほど説明を受けた後、1時間半ほど開発区域内をマイクロバスで案内いただいた。苫東石油備蓄株式会社の敷地内には880万klの石油を備蓄(国内消費量の2週間分)する88基のタンク、北電の火力発電所(北電全体の3分の1の能力)と苫東コールセンター株式会社の燃料となる海外炭の山、コンテナターミナルのほか、廃プラスチックによる発電所、家電製品やペットボトルのリサイクル、廃棄物中間処理などの廃棄物リサイクル関係の事業者が目立つものの広大な空き地の中に点在しているという印象だ。国内の工業団地に共通するが、ここでも自動車関係の事業者の進出に熱心だ。区域内には「いすず」が進出し、近くにはトヨタの工場もある。
あまりにも巨大すぎる開発であること、グローバル経済の中で製造業を取り巻く状況や今後の地域振興などを考えると、苫東開発の今後は相当厳しい。

dscf0315c.jpg dscf0316c.jpg dscf0322c.jpg
dscf0324c.jpg dscf0326c.jpg dscf0327c.jpg
苫小牧東開発(クリックすると大きくなります)

苫東の現場から、車で夕張に向かう。午後1時半には市の中心部にあるホテルに着き、昼食をとる。隣接するスキー場などとともに松下興産がリゾート事業をしていたが、99年から02年にかけて撤退、それを夕張市が高額で買い取ったことが財政悪化の要因の一つとなったことで知られる。シャッターの目立つ人影のないメイン通りをランドセルを背負った一人の小学生がトボトボと歩いていたのが印象的だ。

dscf0338c.jpg dscf0335c.jpg dscf0332c.jpg
夕張の様子

市庁舎に行くと職員削減で執務室がガランとしている。議会事務局を訪ねると市議会の行政常任委員会がおわったばかりの加藤喜和議長と高橋一太副議長がおられたので約30分ほど議会の様子などお話を聴く。夕張市が財政再建団体になったのが07年3月、再建期間は07年度から24年度までの18年間で既存の赤字額353億円(これ以外に地方債などの返済分もある)を返済しなければならない。市の標準財政規模は40億円というからそのすべてを返済にまわしても9年はかかる。本来責任の一端を負うべき金融機関へは北海道庁がすでに肩代わりして全額を返済した。責任を負うべき当時の行政官僚、議員らは責任をとらないシステムが構築されている。結局のところツケは市民と残された職員が負うことになる。

夕張市議会の定数は元は18だったが今は9議席、加藤議長は議会がチェック役を果たせなかったことで地方議会の評判を落としたことについて申し訳ないという旨の発言をされた。
高校を卒業しても就職する場所がないことから若い世代が住み着かない。確かに閑散とした石炭博物館などをみると、産業として目立つのは冬場のスキー場と夕張メロンしかないように見えた。国策としてのエネルギー政策の転換が夕張から大黒柱の地場産業を奪い取った。国は地域を切り捨てる。苫東開発区域でみた海外炭の山がそれを象徴している。
其のあとをリゾート企業が食い散らかした。リゾート企業が撤退すると壊滅状態となる。中心市街地と郊外の大型店舗との関係にも通じるものがある。

2008/8/28 木曜日

八ツ場ダム裁判で被告・県が「カスリーン台風と八ツ場ダムはまったく関係がない」と断言!

カテゴリー: 活動日記

 アフガン東部で非政府組織「ペシャワール会」の伊藤和也さん(31)の遺体が確認された。6月14日のブログで私は、現地代表の中村哲医師が、政府がアフガン本土へ陸上自衛隊の派遣を検討していることを強く批判し、派遣が実現すれば同会の現地活動を停止し日本に完全撤退することを表明するとともに、「反日感情が高まり日本人スタッフの安全を守れない」とし「必要なのはパンと水。軍事活動では何も解決しない」と訴えてきたことを紹介した。新テロ特措法や陸上自衛隊派兵の恒久法制定の動きに見られる、米政府に追随依存する日本政府(及びそれを容認する国民)の思考停止体質がこうした犠牲を生んだ可能性が高いと思う。

八ツ場ダムをストップさせる千葉の会のHPで、民主党の鳩山由紀夫幹事長らが長野原町の八ッ場ダム建設予定地などを視察し、視察後の記者会見で、2005年の 衆院選に続き、次の衆院選でも政権公約に同ダム建設計画の「中止」または「凍結」を盛り込む考えを表明したことを報じる記事(読売新聞群馬版2008年8月19日)を紹介している。

26日午後1時から5時半まで、千葉地裁で八ツ場ダム裁判の公判があり、証人尋問(証人:嶋津輝之、大野博美、県河川整備課職員)が行われ、私も傍聴した。原告席、傍聴席も満席の中、嶋津輝之さんは75枚のスライドを使って八ツ場ダムがあらゆる角度から検討した結果利水上効果がないことを1時間半にわたって証言した。大野さんは治水をめぐる県議会での県とのやり取りで国交省の方針の前に「ひれ伏す」だけの県の姿勢を批判し、ムダなダムに760億円(利息を含む)を投入する財政上の余裕が県にはないことを証言した。

驚いたのは、被告代理人の弁護士(聞くところによれば県から1千万円前後の報酬を受け取っているとのことだが)の姿勢だ。嶋津さん、大野さんへの反対尋問は「見解が真っ向から対立するから」という理由で行わず、県職員への主尋問もしない、挙句の果ては「カスリーン台風と八ツ場ダムはまったく関係がない」と断言する始末。この間明らかとなった科学的事実の前に苦しい言い逃れと正面から向き合わない姿勢が露骨だ。やっぱりここは何としても生物多様性の「専門家」である堂本知事に証人として出廷していただくしかないだろう。

2008/8/26 火曜日

三番瀬「埋め立て」もないのに「漁業補償」「賠償金」名目でなぜ122億円の公金が支出されるのか?~見え隠れする「埋め立て」、第二湾岸計画

カテゴリー: 活動日記

dscf0340.jpg  dscf0342.jpg
24日午後、木更津市内で約90名が参加して開かれた「守ろう!房総の水と緑!残土処分場の建設を阻止しよう!~房総の住民・総決起集会」の様子。集会の最後に、県残土条例の改正に向けた取り組みを行うことなどを確認する「集会宣言」が採択された。

9月議会代表質問に向けたヒアリングが本日からはじまる。とりあえず20近い質問項目を挙げたがそれを時間の制限から10項目前後に絞らねばならない。今までの蓄積を下に、ヒアリング、関連図書の読み込み、現地調査などを踏まえて質問原稿を作成していく。

25日午前は、三番瀬漁業補償問題の調停案内容、午後は急遽、成田新高速鉄道工事に伴うサンカノゴイ生息環境保護のための印旛沼ヨシ原造成の進捗状況(成田市議の足立まちこさんのHPの8月8日の「日記」リンク)にヨシ原の驚くべき状況が報告されている)、東関東自動車道酒々井インターチェンジ計画の進捗状況の3点についてヒアリングした。

三番瀬漁業補償の調停問題とは、

(1)「市川二期埋め立て計画」に関連して、昭和57年に県企業庁、市川市行徳漁業協同組合(当時組合員624名)、金融機関(県信用漁業協同組合連合会、千葉銀行)の「3者合意」に基づき、約43億円の転業準備資金貸付(貸付617名)が金融機関から行徳漁協に対して行われ、56億円余の利息を県が肩代わりしたこと。

(2)その56億円余の支出を違法として当時の沼田武県知事、同じく中野英昭県企業庁長を相手取り県民21人が千葉地裁に損害賠償を求め、05年10月の千葉地裁の判決は、2人に対する損害賠償請求は却下・棄却したものの、3者合意について「契約内容の相当性を欠くものと言わざるを得ず、瑕疵があるといわなければならない」と融資の不当性を指摘したこと。

*県知事と企業庁長の個人責任が不問とされたことは、最高裁の判例が一貫して「公務員個人は不法行為責任を負わない」という姿勢であることと無縁ではないと思われる。6月県議会で大野博美県議が取り上げた茂原の少年冤罪事件で、関与した警察官がその罪を問われなかったことも同じである。この公務員の個人責任を問わないことについて、吉永満夫弁護士はその著書「官僚法学批判」(花伝社、2000年)で、市民社会の大前提に反することとし、「国賠法が制定されたからといって公務員の個人責任が免除されることはありえない。公務員個人もまた社会を構成する要員であるから、公務員の社会に対する義務を免除することは間違っているのである」「それにもかかわらず、何故安易に最高裁の裁判官たちは原則に反するルールを定め、下級審裁判官は安易にこのルールを維持してきたのであろうか。その理由は、法律家が世の中を知らないという一言に尽きるように思われる。」(同書270、271頁)と指摘している。

(3)漁業補償問題について県は東京地裁に2漁協の同意を得て07年5月に民事調停の申し立てを行い調停委員会から「調停金額」が示された。
その内容は、行徳漁協(現正組合員106名、準組合員518名)に対し、県が「漁協の約30年間の長期間にわたる労苦と様々な負担等を考慮」して賠償金として60億円を支払い、行徳漁協は賠償金を転業準備資金(43億円余り)の弁済にあてる、南行徳漁協には総額
6億円の賠償金を支払う。

というものである。

この賠償金額について、県企業庁が公金を支出することになる。しかし、今の企業庁に財政上の余裕はないハズだ。結局、まわりまわって県民の税金から支払われる公算が高い。さらに、考えてみれば、埋め立て中止(H13年)と転業準備金(S57年)との間には直接の関係はない。さらに原点に戻って考えれば、埋め立てもしていないのになぜ、60億円+6億円+56億円=122億円もの公金支出となるのか。「3者合意」の経緯、責任が根本から問われねばならない。

また、実際、漁業権の放棄を前提に準備資金の融資を受け取ったのであれば、漁協や組合員に自らの「責任」が求められる。「貸与」ではなく公金投入となる以上、その使途、妥当性につき漁協側にも透明性と説明責任が求められる。

さて、今後、以下のことについて問いただしていきたいと思う。

① 転業準備金43億円の配布先と使途の実際を明らかにすること。
② 賠償金60億円、6億円の根拠を明らかにすること。
行徳漁協について60億円-43億円(転業準備資金)-2億円(H10年11月以降の利息)=15億円となるが、この15億円の根拠は何か?
③ 前項との関係で漁協の運営、実態と将来を明らかにすること。
④ 利息分の56億円支出、さらに総額122億円もの公金支出の責任の所在を明らかにすること。
⑤ 三番瀬の真の環境保全の視点がない。
(「三番瀬漁場の再生」に連携して取り組むというがこれは一体何を意味するのか。ラムサール条約の文言もなく、人工干潟化、埋め立て、第二湾岸計画の可能性もある中、まだ放棄した訳でもない漁業権との関係はどうなるのか、不透明な点が多々ある)
⑥ 県企業庁に財政的余裕があるのか。

2008/8/24 日曜日

都市再生とコミュニティ、自治体財政

カテゴリー: 活動日記

 20日~22日、県議会会派4人で北海道(道立こども病院、北海道庁、苫東開発、夕張、NPO市民事業)を視察した。今後このブログでも何回かにわけて報告したい。

23日午前は「プロジェクトとけ」の月1回の定例会議、9月の稲刈りの日を決める。
午後は、都内で開かれた「都市再生特別措置法制定から6年 シンポジウム「都市再生-熱狂から暗転へ」」(主催:NPO法人区画整理・再開発対策全国連絡会議)に参加した。

dscf0340b.jpg シンポジウム「都市再生-熱狂から暗転へ」

基調報告で岩見良太郎氏は、西欧の都市再生は「コミュニティの力に依拠した、コミュニティを育てるまちづくり」を目標にしており、駅前にどんどん超高層マンションが建設される日本とは逆に、英国では高層住宅をこわし低層住宅に建て替えられていること、08年7月に閣議決定された国土形成計画の中で「「新たな公」を基軸とする地域経営システムや地域課題の解決システムの構築を目指す」とされる「新たな公」とは、市場主義・競争主義を進んで受け入れる「企業的市民」を「創造」し、「有利な採算事業は企業に、残りかすは市民の奉仕で、行政はスリムに」を目指すものに他ならないことなどを指摘した。

今西一男氏は、都市再生の目的は「バブルの後始末」と「東京の再活性化」の2点、基本思想は①経済優先、②選択と集中、③手続きの簡素化(時間管理)、④自助努力とし、これで住民は幸せになれるか?と問うた。
今井拓氏は、地価の停滞にもかかわらずデベロッパー(三菱地所、三井不動産、住友不動産、東急不動産)が大もうけ(バブル景気の頂点1990年度の経常利益2189億円、2007年度は5255億円)する背景にある不動産証券化(J‐REIT・私募ファンド)について話した。
遠藤哲人氏は、90年代以降の市街地再開発事業で都市再開発法第74条で規定する生活再建措置が無視されていることを指摘した。
名嘉圭太氏は財政危機が叫ばれているが、都23区の財政は非常に良く、問題は「このような財政状況をもたらしたまちづくりが人が住むまちとしてふさわしいかどうか」「贅沢な財源を何に使うか」が問われるとし、多摩地域も財政危機(しかし、自治体の存続を脅かす危機ではない)から一息つきはじめているとした。その上で、これらの自治体では事業規模の大きい過度な投資をしなければ財政面で持続できる状態にあるとし、「コミュニティを育てるまちづくり」に取り組むべきだと話した。

首都圏の道路ネットワーク3環状9放射道路、羽田空港国際化(羽田拡張)、オリンピック招致、築地市場移転なども東京再活性化(千葉ではない!)を目指す「都市再生」(=東京都)の視点から見るとわかりやすい。

2008/8/18 月曜日

文科省指針も無視する千葉市の前近代的体質 アヘンあっての大東亜共栄圏~NHKスペシャル「日本軍とアヘン」から

カテゴリー: 活動日記

 17日午前は9月県議会の代表質問に向けた準備作業、午後は公共建築の計画段階から市民参加を求める「公共建築を考える千葉市民の会」の勉強会に参加し、新設される千葉市立鎌取第3中学校の基本計画内容を検討する。
文科省の中学校施設整備指針の「第3 地域と連携した施設整備」の項で「学校施設の計画に当たっては,学校・家庭・地域と連携した生涯学習の基盤として,学校・家庭・地域等の参画により,総合的に計画を行うことが重要である。」とあるが、千葉市の前近代的体質は変わらず、市民に情報を提供することを極端に渋り、地域の参画などまったく念頭にない。設計事務所も設計入札で低額に抑えられたせいかプランも雑だ。

夜は、テレビでNHKスペシャル「日本軍とアヘン」、教育テレビのETV特集「シリーズBC級戦犯①韓国朝鮮人戦犯の悲劇」を続けて観る。前者について簡単にまとめたので以下に報告する。

● 「国際条約違反はわかっていた。しかし戦争はアヘンなしに遂行できなかった。」

東京裁判で関東軍参謀でもあった東條英機、板垣征四郎の2名の起訴理由の一つに中国でアヘンを蔓延させたことが挙げられている。旧満州国の資料によると関東軍は瀋陽(奉天)のアヘン工場で年間30㌧のアヘンを製造し、アヘンを換金して軍備資金にあてていた。軍部中央部の意向に反して行動する関東軍に予算はつかない。そこで、関東軍は独自財源としてアヘンに手を染めた。それに東條、板垣は指導者として関わっていた。
愛知大学の森久男教授は「関東軍の内蒙工作は自分たちで機密費を調達するという近代的な軍隊では非合法活動にあたることを行った。陸軍中央部の統制がとれていない」と語る。

関東軍の特務機関元兵士は「暴力団の資金源と同じ」と語る。満州国には政府指定のアヘン窟があり、昭和12年には110万人の麻薬患者、年間2000人を超す死体が路上に放置されたという。昭和9年には内蒙のケシ畑3万㌶、耕作人口100万人に及んだ。
内部文書によると板垣ら関東軍の指示で大倉財閥の大蒙公司がアヘンを扱った。日本に協力的な政権をつくるための資金作りとして「チャハル省(現河北省)でアヘンをつくらせよ」との記載もある。

昭和13年には日本がつくった傀儡政権予算の76.8%は軍事費となり、日本全体がアヘンに関与することとなった。「陸軍省大日記」にアヘンの売買の記録がある。軍閥が山西省に隠していた33トンのアヘンを奪って売り兵器を購入している。現在の末端価格で110億円になる。関東軍参謀として軍中央を無視してアヘン政策を遂行してきた東條、板垣がここでは軍部中央の立場で関わっている。

南京40万人の内、5万人がヘロイン中毒だった。
東京裁判で日本軍とアヘンの関係について証言した里見甫は、アヘン商社「宏済善堂」を経営し、昭和16年には南京政府の国家予算に匹敵する3億元の売り上げを上げていた。当時、南京市の実収入の58%がアヘンによるものだ。
米国立公文書館で保存されている機密文書によれば米国は戦時中から里見の動向を注視していたことがわかる。陸軍特務機関の楠本の名前もある。宏済善堂が入った建物には陸軍の特務部も入っていた。里見は東京裁判で、資金は南京国民政府に流れ、日本の国家機関「興亜院」(総裁は首相:当時東條英機)が、アヘン流通をとりしきしきっていたことが判明した。会議録によれば、占領地の自給自足計画が練られていた。

スイスのジュネーブにあった国際連盟、戦時中の日本軍とアヘンに関する文書が公開された。日本は昭和8年に連盟を脱退していたが、孤立を恐れる日本政府は連盟との関係は継続していた。昭和13年6月の連盟の第23回アヘン諮問委員会で、天羽英二日本代表は中国代表、米国代表から厳しく批判された。米国アレー代表は、「アヘン、麻薬が公然と販売されている」「5年間で1億3千万元売られた」「毎日75~100㌔のヘロイン、モルヒネが製造されている」と主張した。
昭和13年9月、中国は各国に日本に対する経済制裁を求めた。これにより日本は国際社会から完全に孤立した。

大東亜共栄圏(日本を盟主とするアジアの共存共栄)のカギがアヘン政策だった。
敗戦時、逃げる軍人を救ったのがアヘンだった。彼らは真っ先にアヘンを手に入れた。
関東軍司令部が最後に行ったことがアヘンの隠蔽だった。日本軍の恥辱となるとしてソ連の侵攻が明らかになった時、大きな穴を掘りアヘンを埋めた。
里見甫は東京裁判の尋問で、「国際条約違反はわかっていた。しかし戦争はアヘンなしに遂行できなかった。」と証言している。
最大100万人の兵を送った日中戦争、戦後63年、アヘンかかわった軍人は隠蔽し何も語らず生きた。

2008/8/16 土曜日

過去の戦争を学ぶことの意義

カテゴリー: 活動日記

 オリンピックや高校野球の過熱報道の影響で、例年に比べて終戦に関係する番組が極端に少ないように思う。そうした中で、15日夜のNHKスペシャル「レイテ決戦・生存者が語る地獄絵」は改めて「過去の戦争を学ぶこと」の大切さを痛感させる内容だった。

番組では、
① 台湾沖航空戦でアメリカの太平洋艦隊に大打撃を与えたという大本営の虚報を根拠に1944年10月に遂行されたレイテ決戦は死者約10万人(日本兵の97%の8万人、米兵1万人、比住民1万人)の多大な犠牲を生んだ。

② 日本による軍票の乱発、物資の「現地調達(=盗み)」は比住民に深刻なインフレと食糧不足を強要し「人間の尊厳と自由」を奪った。戦闘に参加した元米兵は「死体に囲まれて食事をした。日本兵士のバンザイ切込みは自殺行為」と語った。「永久抗戦」を命じられた日本兵は食糧を求めて密林をさ迷い、生ものを食べてアメーバ赤痢にやられ20~30m歩けば下痢をするという状況の中で、餓死に追い込まれていった。「もうあかん、自分を殺して肉を食べてくれ」と会話が交わされ、人が人の肉を食べることも行われた。日本兵士が、どこでどのような最期を迎えたかわかってはいない。
などと紹介された。

「誤った情報と命令」ではじまったレイテ決戦というが、その根底には当時の日本の軍国主義、ファシズム体制があり、1941年1月に東條英機陸相が発した「戦陣訓」(=「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」)の強要がある。

● 過去の戦争を学ぶ意義 「私たちの国民性を知ることであり、その欠点を克服するために是非とも必要なこと」~「若い人に語る戦争と日本人」(保阪正康著、ちくまプリマー新書)から

「若い人に語る戦争と日本人」(保阪正康著、ちくまプリマー新書)で、著者の保阪氏は、「文民支配(文民統制ともいう)とかシビリアン・コントロールというのが、20世紀の先進国の常識的な体制でしたが、日本はまったくそれに欠けていました。(中略)軍事のみが国家のすべての権力をふり回すという、いささかいびつな形をつくりあげていったのです。」(51頁)
「相手に侮辱されるのはたまらないという面子を重んじて、大局を見ることなく戦争に入っていくのは「日本軍の通弊」だったのです」(93頁)
「日本は(川本注:ヒットラーのドイツと異なり)まず、軍事行動を起こし、それを軸にしながら戦争を行う社会、戦争を起こす体制をつくりあげていきました。そこには戦争とはどれほど国家の負担(人的にも、経済的にも)になるかという自省を伴う考えはありませんでした。20世紀における戦争を起こす国家としては、あまりにも成りゆきまかせだったのです。」(119頁)
「本来、戦争は政治の延長であるという論に従えば、戦闘を行いながら外交交渉も行うべきでしたが、日本の軍事指導者にはそういう考えはありませんでした。ただひたすら軍事で相手に打撃を与え、降伏を促そうとするだけだったのです」(154頁)
「(玉砕作戦で大本営参謀たちに欠けていた)思想とは兵士を「人間」としてみていない不遜な態度です」(160頁)

と記している。

この書物の「おわりに~教訓を語る姿勢の必要性について」で保阪氏は、戦争について学ぶことの意義は「私たち国の国民性を知ることであり、その欠点を克服するために是非とも必要なこと」とし、作家の山中恒氏の「アジア・太平洋戦争史」の中の次の言葉を紹介し、昭和という時代の戦争を調べていて同じ結論に至ったと述べている。

「日本はアジアの盟主でアジア諸国の人民は日本の指導に従うべきだと自分勝手に決め付けて、強引に武力でことをすすめる厚かましさの根拠はいったい何なのか」
「当時の史料を読めば読むほどに、日本人ぐらい戦争に適さない民族はないと思うようになった」
「熱しやすくさめやすい忍耐力に乏しく駆け引きに疎い日本は、戦争なぞもっての外である」

確かに対米外交、イラク、北朝鮮などをめぐる問題への対応をみても、思想や戦略はどこにあるのかと疑問を感じるものが少なくない。公共の電波をお笑い芸人が跋扈する番組作りに狂奔するテレビはいうに及ばず、言論機関もその責任が問われる。

dscf0067b.jpg dscf0068b.jpg dscf0070b.jpg
水俣湾に入港中の自衛艦(5月31日、「水俣への旅」の折り撮影)

2008/8/14 木曜日

「水俣への旅」報告(5)~チッソと野口遵

カテゴリー: 活動日記

5月29日~6月1日の「水俣への旅」の報告(4)は6月16日のブログに書いたが、「水俣・新潟展」に触発されて報告(5)を書くことにする。

8月10日に観た「水俣・新潟展」の展示パネルの中に次のようなものがあった。(会場で簡単にメモしたものをその後加工したので異なる記述になったものがあるかもしれない)
「地域まるごと襲われた女島沖地区。56軒の内、53軒198人発症。村全体、親子孫3代が被害」
「日窒の資産 敗戦で日本が朝鮮で失った資産の6割を占める。積水化学や旭化成、日本工営などを生み出す」
「メチル水銀による人の致死量0.2g、水俣病人体発症値は体重50kgの人で25mg、昭和48年に厚生省が定めた基準値(総水銀の暫定的規制値)0.4ppmによれば、水銀を含む魚を毎日600g食べ続ければ1年で25mgになる。」
この3番目の魚の海外の汚染実態調査やヒト健康に及ぼす影響については、H15年の厚生労働省「鯨由来食品のPCB・水銀の汚染実態調査結果について」に記されている。

どれほどの水銀が海に流されたのかチッソが未だ資料を公開しないため不明とのことだが、チッソ水俣工場のアセトアルデヒドの全生産量約45万トンなどから水銀の全損失量400~600トン、副生したメチル水銀の最大値27トンという推測値がある。上記の値と照らし合わせれば、27トンのメチル水銀は10億8千万人を発症させ、あるいは1億3千万人を殺すことが可能な量になる。なお、川本輝夫氏は副生値を10トンとして半分の5トンが海へ流出したとし、「2億5千万人の発病または2千5百万人の致死」と数値を絞り込んでいる。(「水俣病誌」川本輝夫著、世織書房、2006年、310~311頁)
この内、1700名余の認定患者の方が取り込んだメチル水銀の量は百グラムにも満たないと推測される。残りはどこへ行ったのか?!

有機水銀を含む廃水を垂れ流したチッソ株式会社の前身は1908年に野口遵(じゅん)が創立した日本窒素肥料株式会社である。この野口の名言、社是として「労働者(職工)を人間として使うな、牛馬と思って使え」があるそうだ。(前掲「水俣病誌」248頁)
5月29日午後にチッソ水俣工場を訪問し、展示館でチッソの歴史と現在のチッソの製品の紹介を受け、工場内を見学した。チッソのPRビデオを見たが、其の中で水俣病については「水俣病資料館です」という一言が挿入されているに過ぎなかった。
6月1日には、野口が1906年に鹿児島県曾木に建設した曾木発電所跡を訪ねた。同年に野口は金山に電力供給する曾木電気(株)を設立、その余った電力を利用するカーバイド製造を1908年水俣で開始し社名を日本窒素肥料(株)とした。1927年には朝鮮に進出、朝鮮窒素肥料(株)と朝鮮水力電気(株)を設立し、朝鮮に大規模な化学コンビナートや水豊ダム(鴨緑江)(参考:「満州国における水豊ダム建設」広瀬貞三(PDF)を建設した。
曾木発電所は「国策」企業チッソの出発点だった。

dscf0098.jpg dscf0099.jpg 
鹿児島県「東洋のナイアガラ」曾木の滝

dscf0102.jpgdscf0104.jpg

dscf0105.jpg dscf0106.jpg
曾木発電所跡 (6月1日撮影)

2008/8/12 火曜日

行政、議会、司法に共通する公共性(市民社会の視点)の欠如 水俣病患者認定と地方分権~「水俣・新潟展」より

カテゴリー: 活動日記

 9日午前は土気で福谷章子市議とともに、6月県議会・市議会の報告会を開催する。私は、形骸化した県都市計画審議会の実態、現地視察報告を含めて「ムダなダム」=八ツ場ダム事業、公共施設民営化(指定管理者)の背景に公務労働の専門性(意識)の欠如があることなどを報告する。

dscf0286b.jpg dscf0288b.jpg dscf0289b.jpg
土気で開いた6月県議会・市議会報告の様子

福谷さんの報告の一つは三重県伊賀市議会の「議会報告会」を視察したものだ。市民と直接向き合うことを余儀なくされるため、議員はしっかり勉強し自らの考えを持つことを求められるそうだ。千葉も県議会主催の「議会報告会」を開催するようになれば、他人が作文した台本を棒読みするような議会質問はなくなるのではないか?! ともかく、議会への市民参加、そのことを保障する伊賀市議会基本条例などの制度が千葉県にも必要だ。

9日午後は、千葉市内で開いた「千葉県の教育のあり方についての勉強会」で、弁護士、教員、OB、市民の方々と率直な意見交換をする。管理(=秩序)優先の学校現場における公共性(市民社会の視点)の欠如が指摘された。行政、議会、司法に共通するのはこの公共性(市民社会の視点)の欠如だと思う。

● 「水俣・新潟展」 地方分権と患者認定

10日は早朝、千葉を発ち新潟市美術館で開催中の「水俣・新潟展」(主催:水俣フォーラム、共催:新潟県)を観に行く。ホールプログラムのシンポジウム「素顔の新潟水俣病事件」を聴く。話題の中心は水俣病患者認定基準と「もやいなおし」だ。パネラーの高野秀男(新潟水俣病共闘会議事務局長、新潟県平和運動センターさんに会うのは約3年ぶりだ。

シンポジウムで高見優(新潟水俣病第3次訴訟を支援する会)さんは、「①水俣病の事件の全ぼうを明らかにする、②被害を補償する、③二度と繰り返さない仕組みをつくる、の3つのことが終わっていない。被害の全貌を明らかにするために調査すべきだ。「もやいなおし」はこうした調査と並行して行うものだ。2004年の水俣病関西訴訟の最高裁判決で、未認定患者を水俣病と認め、行政の損害賠償責任が確定しており、現状は違法状態にある。違法状態を放置し、行政認定しないことが患者の方々への差別を生み出している。」と語り、2000年施行の地方分権一括法で認定事務は国の委任事務から県や市の自治事務となり、県や市は環境省の通知に左右されず独自に判断できるハズであると指摘した。そして、自治体の新たな役割の一つとして、8月6日の広島平和記念式典で秋葉市長が「平和宣言」の中で、自治体の長として米国にアピールしたことを紹介した。

高野さんは「水俣病でないなら一体何の病気なのか?その答えがない。一方的に被害を受けたものが何故肩身の狭い思いをしなければならないのか。そもそも認定審査会の委員で患者の方々を診た人はいない」と語った。

地方分権時代に入ったものの、自らの頭を使わずトップダウンになれた地方行政は、何をすべきか無自覚なままなように見える。その隙間でさまざまな「協働」事業が動いている。もう一度、日本国憲法、「市民自治」の立場から、「公私二分論」からの脱却、自治の再定義、補完性の原理(権力抑制の原理)の再確認などを行う必要があるように思う。

【参考】
8月6日に広島で行われた平和記念式典で、秋葉忠利広島市長は平和宣言で、「核兵器の廃絶を求める私たちが多数派であることは、様々な事実が示しています。地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都市・自治体連合」が平和市長会議の活動を支持しているだけでなく、核不拡散条約は190か国が批准、非核兵器地帯条約は113か国・地域が署名、昨年我が国が国連に提出した核廃絶決議は170か国が支持し、反対は米国を含む3か国だけです。」とし続けて「今年11月には、人類の生存を最優先する多数派の声に耳を傾ける米国新大統領が誕生することを期待します。」と述べた。
山内徳信さんの講演内容を紹介した7月26日付けのブログに記したが、地方自治の本旨(憲法92条、市民自治+団体自治+自治体外交権)に則った自治体運営をする時代だと思う。

2008/8/4 月曜日

鳥海山、羽黒山、致道館

カテゴリー: 活動日記

 1日の朝刊各紙は、堂本知事が3選出馬に意欲的と報じた。確か2期でおしまいが公約だったハズ。パフォーマンスだけで中身がないことは再三このブログでも指摘してきたが、それ以前に議会中の居眠りの度が過ぎる。体力、気力の面で2期が限界といわざるを得ない。元支持者の「県民もなめられたもの」という言葉にうなずく。

年3回程度の山歩きを目標としているが、2日、3日と鳥海山・羽黒山に行く。いつものように船橋のIさんと一緒だ。1日夕、千葉を出て、酒田で一泊、2日午前7時に鉾立から登り始める。尾根に出ると一面の花畑に出逢い、雲の切れ間から山頂も眺めることができた。しかし、頂上が間近になるとガスで視界がきかない中、猛烈な風と雨にさらされた。頂上付近で記念撮影後、ガスと風の中ひたすら下り、鉾立に帰り着いたのが午後3時過ぎだった。

3日は羽黒山参道の旅館を出て、出羽神社(出羽山頂・414m)に行く。石段2446段を上り下りするのは堪えたが、国宝の五重塔、巨大な杉(直径1mを超えるものが445本あるという)、苔を楽しむ。本当は、月山に登りたかったが、日ごろのトレーニング不足で断念した。

その後、鶴岡市街に戻り、鶴岡公園付近を歩く。公園内では「藤沢周平文学館」が建設中だった。隣接する鶴岡アートフォーラムの立派さに驚く。庄内藩校「致道館」を見学し、その教育方法に感心する。
それは、①討論による修学(個人ごとの研究成果を発表し互いに討論して疑問を質しあい深める)、②生徒の積極的自学の成果を重視する(自学自習が中心)、③生徒個人の長所を伸ばす(可能性を十分発揮)というものだ。時代背景や風土の違い、制約もあるだろうが、教師から生徒への一方通行で対話のない「知識」偏重教育の現状を改革する際に教訓とすべき貴重な実践例ではないだろうか。

dscf0257.jpg dscf0261.jpg dscf0263.jpg 鳥海山の写真

dscf0270.jpg dscf0271.jpg dscf0273.jpg 羽黒山の出羽神社

次ページへ »

HTML convert time: 0.844 sec. Powered by WordPress ME